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京都府京都市右京区「妙心寺」にて(その1)

平成23年11月12日(土)
道標を辿っていくと、「妙心寺」の北総門に出くわしました。

妙心寺北総門
妙心寺北総門

門前でおじちゃんが外国の旅行者に一生懸命地図を片手に何か説明されていました。ボランティアガイドと思しきこのおじちゃんが何を説明していたか今となっては判然としませんが、真夏のような恰好の外国人女性2人組のトラベラーがとても嬉しそうだったのが印象的でした。

ガイドさんと観光客
ガイドさんと外国人観光客

妙心寺について、まずはこれをご覧ください。

妙心寺境内全図
妙心寺境内全景

この広大な鳥瞰図は、妙心寺北総門を入ったところに掲げられている「妙心寺境内全景」です。何故これを掲載したか。事前に下調べせずに、いきあたりばったりで参拝してしまい、現場で戸惑ってしまったからです。北総門を入るといきなりおびただしい数の「~院」という寺院が並んでいて、それぞれが立派な山門を有していて、「なんじゃこりゃ」(松田勇作風に)状態に。

妙心寺塔頭
妙心寺塔頭

いったいどこを見ればいいの?妙心寺というお寺に来たのだけれど・・はて?そこで湧くのが以下の質問です。『妙心寺の地図には、院が付く建物がたくさんありますが、全て個別の寺院でしょうか?』

 妙心寺HPの『よくある質問』にこの答えがかいてあります。曰く『「塔頭」(たっちゅう)といわれる、個別の寺院です。塔頭というのは元来は高僧の墓のことで、その近くに小庵を建てて弟子たちがそこを守っていました。年月を経るとともに増加したそれらの小庵が明治以降に寺として独立したため、妙心寺などの大寺院には多数の寺院が存在する状況になって現在に至っています。』んーなるほど。

妙心寺

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道標(みちしるべ)いろいろ

平成23年11月12日(土)
 京都に限らず、旅先で出くわす道標には本当に様々な形やデザインがあり、これらは旅情を醸し出す巧妙な仕掛けになっています。
 さて、秋真っ盛りというよりは晩秋の気配が漂う中「龍安寺」から「妙心寺」へと、『はたして日本にはもう四季も無く、二季になってしまったのか。いとすさまじ。』なんて想いながらそぞろ歩いたこの日、あたりの風景に溶け込んだ道標、そうでもないものやら、目に飛び込んできたものいくつかご紹介しましょう。
 龍安寺から出てきて直ぐに、さほど広くもない「きぬかけの道」に歩行者用信号機と横断歩道があります。予想外に長い信号待ちと見透しが悪く狭いカーブの道を狂ったように猛スピードで駆け抜けてくる舶来の乗用車に少なからず苛立ちを覚えながら、周囲の顔だけ見ると全くといって違和感のない御一行様が、ひとたびしゃべりだすと異国人だったことに、妻と目配せして苦笑しつつ撮った写真が次の一枚です。ここにも道標が写っています。

道標4
「きぬかけの道」横断歩道
道標5
拡大版(地元では嵐電で通っているのだなあ)

私が道標を撮影するのは、風景や建物だけではその日のことを想い出すのに苦労するからで、道標を写しておくと、目的地までにどの道を経由したかなど旅のディテールが炙り出されてくるからなのです。実際にグーグルマップで観てもらうと、この日私が辿ったルートを再現できますよ。な~んちゃって、実際にはごみ収集車やごみ袋などが写り込んでいて、道標は隠れていたりするのですが。あはは。(^_^;)

道標
路傍の石柱道標(こういうのが良いです。)
道標3
三叉路にあった道標(道案内図)
道標2
三姉妹のような道標
踏切にある道標
京福電鉄北野線の踏切と道標
拡大
拡大した道標(学園都市京都の面目躍如か)
これも道標
児童公園にあった地図。あまりに広域で、少し首をかしげたくなったもの。
ただし、町名から『あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る』(額田王)が偲ばれるため撮った一枚です。

四国霊場第73番札所「出釈迦寺」にて(逆打ち その15)

平成23年10月22日(土)
 札所が麓に降りてくるということもあるのかなあ。それはそれで便利ではあるけれど、一方では御利益は薄くなるような気もします。

出釈迦寺奥ノ院を望む
出釈迦寺の納経所脇から奥ノ院を望む

ウィキペディアの記述によると『寺伝によれば、空海(弘法大師)が7歳の時に倭斬濃山(わしのやま)(現、我拝師山)に登り、「仏門に入って多く人と衆生を救いたいのです。私の願いが叶うなら釈迦如来様、お姿を現して下さい。もし、願いが叶わないのなら私の命を仏に供養します」と願い、山の断崖から谷へと飛び降りた。すると、落下する空海の前に釈迦如来と天女が現れて抱きとめ、「一生成仏」と宣し、彼の願いが成就された。感激した空海は、釈迦如来が現われた山を「我拝師山」と名づけ、その山に出釈迦寺を建立し、釈迦如来の尊像を刻んで本尊としたという。
 約300年前までは山頂が札所になっていたが、1920年(大正9年)に麓に移された。』とあります。

我拝師山出釈迦寺山門
山門
山門と手水舎
山門と手水舎
本堂
本堂
大師堂
大師堂

弘法大師の超人的な逸話はいたるところに残されていますが、この「捨身ヶ嶽禅定」は仏門に入る契機となる逸話です。その真偽について興味はありませんが、奥ノ院に登って大師の足跡をたどるのも良いかなと思います。

捨身ヶ嶽禅定
捨身ヶ岳禅定(解説)

捨身ヶ岳から眺めた讃岐平野は、大師の目にどのように映ったのでしょうか。そこには今もあまり大きな建物もなく、まだ、緑豊かな田園が残る風景があります。

大師が望む讃岐平野
出釈迦寺山門前から讃岐平野を望む(霞の向こうは瀬戸内海)

オリオンに魅せられて:冬の帰り道

平成24年1月18日(水)
 1月の夜空が好きです。凍てついた澄み切った夜空に無数の星々が瞬いてるから。そして、なかでもひときわ凛として輝くオリオン星座が最高です。1等星以上に明るく輝いているベテルギウスとリゲルなどの4つの星に囲まれるように3つ星が並んでいるこの星座は、星座音痴の私でも、満天の星々の中にあって迷わずに見つけることができる数少ない星座のひとつです。冬の帰り道をご一緒してくれる美しい友ですね。
 携帯でカシャットしましたが、真っ黒で何も写りません。(^_^;)仕方ないので、下のHPをご覧ください。因みに、オリオン座のベテルギウスと、こいぬ座のプロキオン、おおいぬ座のシリウス、この3つの星を結んだ三角形を「冬の大三角形」と呼びます。そんなこと知っとるわい!という非難の声は無視します。あはは。
 そういえば、風の谷のナウシカで、主人公のナウシカが「シリウスに向かって飛べ!」といったような。

平塚市博物館

京都伏見にて(その2)

平成23年12月17日(土)
 さて、伏見と云えば、幕末の戊辰戦争の端緒となった「鳥羽伏見の戦い」があった場所として有名ですね。伏見市内にある「御香宮神社」は、新政府軍(薩摩)が陣取った拠点(屯所)だったようですが、現在ではそんな古戦場の名残を感じるものはありませんでした。伏見に進軍したという彼の新撰組隊士達もこの辺で壮絶な戦に臨んだのでしょうか。

参道
御香宮鳥居と参道

 境内には芸子さんと思しき和装のうら若きお嬢さま連れが参拝に訪れていたので、はてご利益は?とウィキで調べてみましたが、それらしき記述は見当たりませんでした。安産守護之大神ということで、身近な人の安産でも祈願しに来ていたのかも。

参拝風景
師走の参拝風景
御香宮御祭神
御香宮の御祭神と御神徳

 そんな余計な詮索はともかく、歩道にまで張り出した御香宮神社の山門は、事前に想像していたよりも威風堂々としたものでした。これも後にウィキで調べて判ったことですが、実はこの山門は伏見城の城門を移築したものと記述されていました。どおりでね。

御香宮神社山門
御香宮山門

 御香宮神社の名前の由来は、良い香りのする水が湧き出していたということのようで、この日もペットボトルにお水を貰い受ける人に巡り会いました。コーヒーでも沸かすのかなあ。想像の翼はどこまでも広がります。
 平成になって往時の極彩色に復元された社殿(本殿・拝殿)は、重要文化財で、一風変わった趣のものでした。

極彩色の拝殿
極彩色の拝殿

御香宮神社
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