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まほろばの吉備路(その5)

平成23年8月20日(日)
 備中国分寺を出て、備前一宮駅方面に向けて歩き出した頃には、雨脚も少し強めになってきて、「こうもり塚古墳」、「国分寺尼寺跡」、「旧山手村役場跡」、「造山古墳」などの見どころはスルー。幹線道路に沿って丘を越え、川を越え、「天気予報は確認しょうよ!」と自分に言い聞かせながら、適当な食事場所を探しましたが見当たらず、仕方なく途中のセブンイレブンで購入した堅揚げのポテチをパリパリほおばりながら、パンパンに張ったふくらはぎをひきずって、ようやく「吉備津神社」に辿り着きました。16時27分。総社駅に着いたのが12時46分でしたから、もうかれこれ4時間近くもウロチョロしている計算に。(デジカメの効用は、撮影日時が記録されていること。あとから記事を書くときにメモを残す必要がないので楽です。また、ある程度の解像度(画素数)があれば高札などもメモしなくてもそのまま撮影しておけば、後から内容をチェックできますし、時間が節約できますね。)

 「吉備津神社」は、「吉備津彦命」をご祭神として祀っています。吉備津彦命は吉備国の開拓祖神にして、桃太郎伝説のモデルとなった英雄であるといろんなものに書いてありました。

 伝説によると、「温羅」(うら)は、百済の王子にして、「鬼ノ城」(実在する朝鮮式山城)をねじろにして悪業(略奪・かどわかし)の限りを尽くしたとされ、ウィキによると『記紀神話』では、ヤマト政権(崇神天皇)の命を受けて、賊徒討伐(山陽道平定)に乗り出したのが吉備津彦命(後に「四道将軍」の一人と称される。)と書かれているようです。そして伝説では、激闘の末にこれを屈服させたとあります。

 伝説は兎も角、吉備津神社は、小高い山の斜面に位置していました。街道から松並木の参道に入り、広い駐車場のつきあたりにある車道を挟んで位置する手水舎の脇から、そんなに多くもない石段を登り、山門をくぐって参拝します。本殿は「吉備津造り(比翼入母屋造)」という特殊な建築法で建てられていて、なかなか荘重・荘厳な雰囲気でしたね。

吉備津神社参道
吉備津神社参道
吉備津神社手水舎
手水舎
吉備津神社参道石段入口
参道石段
急こう配の石段
急こう配の石段
ご本殿
本殿参拝所
ご本殿外観
本殿外観

 ところで、私は吉備津神社に参拝する前から、石段下に駐車している1台のタクシーに目を付けていました。何故なら、石段を登りながら、疲れ果ててもう歩けないと感じていましたし、何より時間がありませんでした。本殿の写真を撮った時間が16時35分。もう一つの吉備津神社、「吉備津彦神社」に歩いて行くにはもう時間が足りませんでした。私の経験では、17時を過ぎると参拝できない寺社が多いので。ここまで来たらそれ(吉備津彦神社)も見たいっ。てな訳でタクシーに飛び乗って一目散にそこへ向かいました。

ところで、吉備国には元々「吉備津神社」がありましたが、律令時代に吉備国が備前・備中・備後、それに美作の4国に分かれた際に、備中の「吉備津神社(岡山市吉備津)」、そして備前には「吉備津彦神社(岡山市一宮)」、備後には「吉備津神社(広島県福山市新宮町)」に分社されたのだそうです。それで合点がいきました。

 さて、件(くだん)のタクシーで「吉備津彦神社」に辿り着いたのが、16時44分。かなりご年配のとても親切な運転手さんが乗務されていて、街道まで出ずに山際の近道を通ってくれて、降り際に色々な観光パンフをいただきました。ついでに「備前一宮駅」の場所を教えてもらって別れたのでした。観光というものは様々なプレーヤーのホスピタリティで成り立っていると感心した瞬間でもありました。合掌。

 「吉備津彦神社」では、幸いにも参拝できました。参道の両側が池になっている「三島式庭園」でしたね。「吉備津神社」ほどの規模ではないにしても立派な神社でした。もう少し時間が取れたら良かったのですが。

吉備津彦神社参道
吉備津彦神社参道
吉備津彦神社山門
山門
吉備津彦神社本殿
吉備津彦神社本殿
拝殿
拝殿

 JR吉備線「備前一宮駅」で17時少し前発(定刻を遅れていたような)の岡山行きの電車に飛び乗って、と云うより倒れ込んで、自分の身なりをチェックしましたが、頭はボサボサ。服の表面は霧のような水滴が付着しており、下着は汗でぐちゃぐちゃ。たぶん、体中から水蒸気が立ち上っていたのではないかと思います。(惨)結局、岡山駅構内のコンビニでおにぎりを購入して、マリンライナーの車内でぼそぼそと遅めの昼食を。いつか天気の良い日の再見を誓ったのでした。
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自転車で駆け巡った京都2011(その9:高台寺にて)

平成23年5月15日(日)
 八坂神社から八坂の塔に続く石畳の通りは、近年電柱の地中化工事などを施したときから“ねねの道”と呼ばれているようです。NHKの大河ドラマ「江」で大竹しのぶが演じた北政所“ねね”が、秀吉没後、高台院と称してこの地で、晩年を秀吉の御霊を弔いながら過ごしたことに由来するようです。

ねねの道
ねねの道
台所坂
台所坂

 この通りから「台所坂」を上りきったところに「高台寺」がひっそりとあります。“ひっそり”というのは、私の願望です。実際に訪れた5月のこの日は、大勢の観光客や方丈の催し物の参加者でごったがえしていました。因みに「方丈」とは、仏教では住職が生活する建物のことです。お寺では檀家をお迎えするために、方丈の前には競って立派なお庭を造営するということがあったと何かで読んだことがあります。そういった意味では高台寺のお庭はとても癒される良いお庭でしたね。

高台寺庫裡と牛
高台寺庫裡と牛(こんなん出ました。)
牛のいわれ
牛の説明書き
方丈
方丈
方丈前庭と勅使門
方丈前庭園と勅使門
高台寺庭園
高台寺庭園(良い枝振りでしょう?)
開山堂
開山堂
霊屋
ねねと秀吉を祀る霊屋

 高台寺は山肌に沿うように建てられていて、回遊式の庭園の小高いところに、他の建物とは、まったくと言っていいほど異質で、趣の異なる東屋のようなものがありました。いずれも重要文化財で、「傘亭」、「時雨亭」と呼ばれる茶室?なのだそうです。写真を撮ったので掲載します。

傘亭
傘亭(重要文化財)
時雨亭
時雨亭(重要文化財)

やっぱり京都は良い!

平成23年9月11日(日)
 さて、今年は夏から秋にかけて、娘を、もちろん妻も連れ立って、何度も大学のオープン・キャンパスに出かけました。京都外国語大学だけでも2度も行ったのです。そしてそんな絶好の機会を私が逃すはずもなく、2度目のO・Cは早々に切り上げて、京都外大に隣接する京都市バス梅津営業所で1日乗車券500円也を購入して、外大前バス停から発車オーライ。市バスの車窓から見える歴史的風致、例えば鴨川河畔の中華料理屋、京都南座などに目を惑わされながら、バスは一路東山へ。

京都市バス車内
京都市バスの車内
歴史的風致(東華菜館)
歴史的風致(東華菜館)
京都南座
京都南座

 目的地は清水寺(ユネスコ世界文化遺産)界隈でした。わざわざ“界隈”と付けたのは、清水寺自体も好きなお寺ではありますが、それ以上に清水道(東大路道)から坂道を登りながら、左右に続く様々なお店を物色しながら、黄色い声で来店を促す“おたべ”の売り娘さんの着物姿に見惚れてみたり、清水の舞台で怖々下を覗き込む外国人に好奇の眼差しを向けてみたり、音羽の滝に群がる人々の望みって何だろうと想像の翼を羽ばたかせてみたり、3年坂(産寧坂)、2年坂と下りながら、八坂の塔にも目をくれながら、徐々に昭和以前の街並みにタイムスリップするのがとても心地よいのです。

清水坂
清水坂
清水の舞台
清水の舞台
音羽の滝に群がる人々
音羽の滝に群がる人々
三年(寧)坂と八坂の塔
三年(寧)坂と八坂の塔
二年坂
二年坂

 この日は、ねねの道経由で、知恩院にもお参りできました。南門をくぐると、いきなり現れた三門の何と壮麗なことか。既に日が傾きかけていたので、駆け足で本堂にお参りし、大みそかの行く年くる年でお馴染みの除夜の鐘を見に行くことにしましたが、午後の4時を回り、鐘楼に至る坂道にロープが渡してあり、こりゃあだめだと諦めかけたときに寺務所の女性が現れて「折角お参りに来てくれたのですから、是非、鐘楼を見ていきなさい。」とご親切にお声を掛けてくださいました。今の日本、なかなか捨てたものでもない。合掌。

知恩院三門
知恩院三門
知恩院本堂
知恩院本堂
知恩院宝佛殿
知恩院宝佛殿
知恩院大鐘楼
知恩院大鐘楼

 時間がなかったので、知恩院の方丈庭園などは拝観できませんでした。次の宿題です。

知恩院境内案内図
知恩院境内案内図

 9月にパソコンがちんでしまいました。久しぶりのアップです(^_^;)これからもよろしくです。
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