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自転車で駆けめぐった京都2011(閑話休題)

平成23年5月15日(日)
 葵祭を観た日。実は、この日はチャリンコ借りていませんでした。大勢の群衆の中をチャリンコで通り抜けるのは流石に無理だろうという大人の判断でした。
 さて、京都御苑から徒歩で南に下がり御池通りに出て、ファミレスで食事してから、ぷらぷらと東を向いて歩き出しました。今回はここ御池通から八坂神社に至るまでの散策で気になったものを書いてみようかと思います。

 京都市役所(本庁舎)は、ウィキによると『「関西建築界の父」とも言われる日本の建築家で、近代日本を代表する建築家の一人である、武田 五一(たけだ ごいち、明治5年11月15日(1872年12月15日) - 1938年(昭和13年)2月5日)』氏らによって設計されて、1927年に竣工したものだそうで、鳥が両翼を広げて訪問する人々を包み込むような、なかなかどっしりとした威容です。丁度、頭部にあたる部分は、まるでロボットのようでもありますね。この日はフリーマーケットで賑わいをみせていました。

京都市役所
京都市役所(ロボット・ヘッド)

 京都市役所からさらに東へ足を進めると、小さな川に架かる橋のたもとに石造りで『高瀬川』と書いてありました。

高瀬川石柱
高瀬川石柱

 ウィキによると『高瀬川は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以(すみのくらりょうい)・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である。開削から大正9年(1920年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。(中略)水深は数十cm程度と浅く、物流には底が平らで喫水の低い高瀬舟と呼ばれる小舟が用いられた。(中略)江戸時代を通じて、京都と伏見とを結ぶ主要な物流手段として多くの舟が行き交っていた。明治時代に入り、明治27年(1894年)に琵琶湖疏水(鴨川運河)が通じると、輸送物資の役割分担によって共存を図ろうとしたものの物資輸送量は減少し、大正9年(1920年)に水運は廃止されることになった。』とあり、『現在は、二条から五条にかけて並行する木屋町通に飲食店が多く立地する。木屋町通周辺、特に三条から四条あたりにかけては京都の歓楽街の一つとなっており、週末は夜遅くまで賑わっている。また、幕末の事変を示す石碑が多く、桜の名所ともなり観光客も多い。』とあります。そぞろ歩く私の目にも、河岸の桜の新緑が、さらさらと流れる川面に写って本当に涼やかに見えました。

高瀬川
高瀬川(浅い。底が見える。)

 加茂川を渡りながら、その南側の欄干越しに見える風景は、日差しはきついものの昼下がりの穏やかなものでした。川岸の芝生に腰掛けて談話する人々、散歩する人、自転車を停めて休憩する人、読書する人、そして、提灯を張った川床の上にも人がちらほら。加茂川の納涼床は、5月1日~9月30日に利用できるようですが、昼床は5月と9月のみとのこと。たまたま、5月だったから。京都鴨川納涼床協同組合のHPに納涼床の歴史が書いてあります。太閤秀吉の時代からこのような風物が生まれたようですね。何というか、日本版ビアガーデンってことでしょうか。いちど立ち寄りたいなあと語りながら加茂川を渡りきりました。

加茂川と納涼床
加茂川と納涼床

 御池通りは、ここまでです。これも秀吉が東からの敵の侵入に備えて多くの寺院をこの辺り(寺町通りから東)に集めたときにこうなったらしいのです。あの有名な本能寺もこのときに現在の場所に移築されたとのこと。この日も本能寺を探してみましたが不能発見で宿題に。そう云えば、今年はNHKの大河ドラマ「江」で太閤秀吉が描かれていますが、良くも悪しくも実力者だったことは確かですね。

 加茂川に沿って右折し、三条京阪駅前から縄手通に入って、白川に沿って散策。風情のある和風の家並みや昼下がりのランチを楽しむお店と柳の並木が景色に溶け込んでいるようで、一種隠れ家的なエリアでした。巴橋を渡って写真をパチリ。そして三条通へ。

白川から大和橋方面を撮影
白川巴橋上から大和橋方面
南側から巴橋方面
風情のある家並み(お店)

京都鴨川納涼床協同組合
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四国霊場第75番札所「善通寺」にて(逆打ち その13)

平成23年7月19日(火)
 大雨をもたらす、とんでもない台風が通過中です。雨戸がガタ・ガタ・カン・カンと悲鳴をあげています。今晩は、高潮にも細心の注意が必要です。といって、家を担いで逃げることもできない訳ですが((((゜Д゜;))))。

釈迦堂と五重塔
善通寺(釈迦堂と五重塔)

 7月になって、何かと忙しくて、ブログの更新もままなりません。気が付くとスポンサーの広告もなくなっています。まあ、別にお金をくれる訳でもないので、どうでも良いと云えばそうなのかもですが、広告を貼り付けるほどの魅力も無いのかと悲しくもあり、また何となく励みもないなあと思う今日この頃です。

山門
善通寺南大門(奥に見えるのは金堂)

 そろそろ逆打ちの遍路旅の続きも書かねばと思う私と、一方でどこか魅力のある旅先はないかとインターネットしている私がいます。京都の旅も、本当は昨夏に訪れた東・西「本願寺」や「二条城」の記事も書かねばと、つのる焦燥感に苛まれること暫しです。
2011_7_17善通寺
善通寺

 最近、思うことがあります。それは旅にも賞味期限があるのではないかということです。時間を経るにつれて、対象への興味が薄らいでいくために、記事が書けなくなります。(『あ~た。それは記憶力の問題じゃね?』確かに。うーん納得。)
 さて、西暦774年、讃岐国多度郡(たどのごおり)五岳山屏風浦(びょうぶがうら)というところに1人の子が産まれました。この子が後に真言宗の開祖にして、三筆と呼ばれる書の天才、弘法大師「空海」となります。そして、その子の父の名からとった『善通寺』と呼ばれる誠に壮大な伽藍のお寺が此の地に出現したのです。

善通寺しおり
善通寺しおり

 話は突然に飛びますが、有名3怨霊の2人までが、讃岐の国に縁があるというのは偶然?白峰御陵の崇徳上皇は讃岐に遠流され、太宰府に流された菅原道真は若い頃に讃岐国に役人として赴任しています。そして、空海は讃岐国で誕生しています。何かの縁(えにし)を感じませんか。今風に云えば、讃岐国はパワースポットなのかもですね。(お馬鹿ね~島流しされるくらい“ど田舎”ってことじゃん(悲)。)

 善通寺は、下の図面でも判るように、四国霊場の中でも抜き出た規模を誇ります。殊に登録有形文化財の五重塔は、真言宗の総本山である京都の「東寺」のそれと比較しても見劣りしませんよ。いずれも空海に縁があるという点でも共通しています。善通寺には他にも登録有形文化財に指定されてる建物が沢山あります。金堂(本堂)、釈迦堂、中門等々、そういう観点でお寺を観るのも良いかもです。

善通寺概観図
善通寺概観図
善通寺
善通寺赤門(東門)と五重塔
金堂
金堂(本堂)
中門と御影堂を結ぶ屋根付き通路
中門と御影堂を結ぶ屋根付き通路

 善通寺の境内で、寛政10年(西暦1798年)に建てられた石碑を見つけました。空海没後963年。既に四国八十八箇所霊場という巡拝行程が成立していたことが偲ばれます。この時代に活躍した日本人には、日本地図作製に貢献した伊能忠敬、間宮林蔵とか、芸術の分野で世界的に有名な喜多川歌麿、葛飾北斎、歌川(安藤)広重、ご存じ遠山の金さん(金四郎)、江戸3大改革で名高い松平定信、水野忠邦など超有名人がいますね。香川県的に云えば、平賀源内とか柴野栗山を挙げるべきでしょうが、私はよく知らないので、興味ある方はHPで検索してね。

寛政10年の石碑
寛政10年の石碑

自転車で駆けめぐった京都2011(その7:北野天満宮にて)

平成23年5月14日(土)
 世界遺産「仁和寺」を出たあと、私たちは、この日最後の目的地「北野天満宮」に立ち寄りました。目的地と云いましたが、予めここに行くと決めていた訳ではありません。何のことはないKCTPの地図に書いてある有名そうな神社を選んだだけのこと。名前は聞いたことがある。でも詳しくは知らないなんて場所は、全国あちらこちらにごまんとあるのです。

鳥瞰図
北野天満宮(鳥瞰図)
三光門
楼門

 そして、知らなくても、旅先でそれ(実物)を見ると、「へ~!」と感激したり、驚嘆したり、涙ぐむことすらも、やはりごまんとあるのです。それこそが旅の醍醐味ですし、京都にはそんな感動の欠片(かけら)が、夜空の天の川のごとく、きら星のように旅人を誘うのです。嗚呼、叶うなら京都に移住して余生を過ごしたい。

 『東風吹かば、匂いおこせよ梅の花、あるじなしとて春な忘れそ。』

 この和歌は、身に覚えのない罪を着せられて、京の都から遙か遠くの九州は太宰府に流刑され、その辺境の地から故郷の都を想い、いつの日か冤罪が証明されて帰れる日が来ることを夢見て、これを詠んだのでしょう。九州新幹線「さくら」や「みずほ」のある現代ならいざ知らず。平安時代ではシベリア抑留にも近い処遇でしょうか。ならいっそ月にでも飛ばしてくれたら、かぐや姫にお目通りも可能なのに・・・。

 『御霊信仰(ごりょうしんこう)とは、人々を脅かすような天災や疫病の発生を、怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の「怨霊」のしわざと見なして畏怖し、これを鎮めて「御霊」とすることにより祟りを免れ、平穏と繁栄を実現しようとする日本の信仰のことである。』(ウィキより)

 北野天満宮も、当初は、「崇徳上皇」や「早良親王」と肩を並べる有名な『怨霊』を鎮めるために造営されたようですが、現在では学問の神様として広く民衆の信仰を集めています。

絵馬堂
絵馬堂(三六歌仙などが描かれていました。)
社殿
社殿

 絵馬堂は質実剛健。本殿は、出雲大社にも通じる、煌びやかで、かつ重厚な印象の社です。まさに「神さびて・・」の世界観ですね。

 そうこうしているうちに、ちゃりんこで駆けめぐった都の夜は更けてゆき、宿泊所の特典でタワーの展望台から京都市街(東寺も見えた。)を眺め、これも特典のカクテルを1杯戴いて、ぐっすりと眠りについたのでした。(ちゃんちゃん)
京都のシンボル
京都のシンボル
京都夜景
京都夜景(よく見ると「東寺」も写っているのだ。バカボンのパパ。)
摩天楼からの眺め
摩天楼の眺め

北野天満宮
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