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自転車で駆け巡った京都2011(その3:清凉寺にて)

平成23年5月14日(土)
 嵯峨野は、2度目だったので『天龍寺』の八方睨みの竜も、庭園も以前見ています。でも、何故か写真が残っていません。整理が悪いのかなあ。そんなときは、何か損したような情けない気持ちになります。
 娘や家内が買い物した「ジャニ・ショ」がなくなっていました。それ自体は私には何の関わりもありませんが、バブルの遺産のようなものはここには似合わないと思います。

 なんてことを考えながら、さて、漠然と「大覚寺」を探しながら、表参道のような雰囲気を醸す通りを北へ上って、鉄ちゃん(鉄道オタク)達が特急通過のシャッターチャンスを待つJR嵯峨野線(山陰本線)も越えて、しばらく自転車をこいで行くと、やがて辺りの町並みを遙かに凌駕する大きな仁王門が目に飛び込んできました。
清涼寺仁王門
清涼寺仁王門

 地図に目を落として付近を検索すると『清涼寺』(嵯峨釈迦堂)という名前がありました。このお寺の説明は、以下の高札をご覧ください。
清涼寺高札
清涼寺高札

 また、清涼寺伽藍案内図を見るとこのお寺の壮大な規模と各伽藍の名前が判ります。
清涼寺伽藍案内図
清涼寺伽藍案内図
清涼寺本堂
本堂

 立派な本堂の大きさは次の写真で感じていただけるでしょうか。彼の悪名高き「生類憐れみの令」を発布した五代将軍「徳川綱吉」のご生母「桂昌院」が再建したと先ほどの高札に記されています。
本堂の大きさよ
本堂の大きさよ

 本堂裏の弁天堂が浮かぶ築山泉水庭(池泉庭園)や書院前の枯山水庭園が往時を偲ばせていました。(つづく)
弁天堂
弁天堂
書院前枯山水庭園
書院前枯山水庭園
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自転車で駆け巡った京都2011(その2:嵐山界隈にて)

平成23年5月14日(土)
 嵐山に着いた私たちは、取りあえず休憩。高速バスの中でおにぎりを食べていましたが、自転車こぎこぎで、大方エネルギーを使い果たしたので、桂川の支流にかかる橋のたもとで、湯葉のあんかけとみつ豆風アイスクリーム(写真)をいただくことに。2人で分け合って食したので、カロリー・オーバーではないなどと言い訳しながら。
名前不知橋
桂川支流に架かる橋(不知名前)
湯葉あんかけ
湯葉のあんかけ
あんみつ
あんみつ風アイスクリーム

 ウィキによると、渡月橋を挟んで上流を大堰川、下流を桂川と呼ぶのだそうです。もっと上流は、保津川ですね。渡月橋は、山口県の錦帯橋のような、いわゆる太鼓橋ではなく、直線的が故に曲線的なバックの山並みに映えて、とても美しい橋だと思います。この日、前日までの雨の影響で川は濁流となっていたため屋形船も出ていないようでした。春の桜咲く頃、月見の頃、秋の紅葉狩り、雪景色の頃、そうドラマの舞台に相応しい季節に再来を期してここを去りました。
渡月橋
渡月橋
渡月橋2
渡月橋Ⅱ

 さて、嵐山の観光客は渡月橋の北側から、京福電鉄嵐山本線やJR嵯峨野線(山陰本線)の嵯峨嵐山駅の方から来る人が多いのでしょうか。人の少ない南側と比較して、川を挟んだ北側は名だたる観光地も多いし、また食事処やお土産屋等のお店が多く立ち並んでいて、この日は比較的若い人で賑わっていました。お陰でその人混みに紛れてコロッケを立ち食いする夫婦の姿を目撃した人はいませんでした。
京福嵯峨野付近
京福電鉄嵯峨野駅付近

 『嵯峨野(さがの)は、京都府京都市右京区の地名。太秦・宇多野の西、桂川の北、小倉山の東、愛宕山麓の南に囲まれた付近に広がる広い地域の名称で、単に「嵯峨(さが)」と呼称される事もある。ただし、観光地としての「嵯峨(野)」は嵐山から小倉山に沿った社寺の立ち並ぶ地域を指す。』(ウィキより)私にとって、『嵯峨野』という言葉(フレーズ)は、憧れにも似た響きを持つ言葉のひとつです。その音から様々なイメージが膨らんで、色々な舞台装置、例えば寂れたお寺であったり、枯山水のお庭であったり、お顔の美しい仏像であったりですが、これら装置も相俟って、何れは無常感、寂寥感へと至ることができます。

 ところで、この日の観光コースは、結果的に京都駅~桂離宮界隈~桂川沿いの自転車道経由~嵐山~清涼寺(嵯峨釈迦堂)~化野念仏寺~大覚寺~仁和寺~北野天満宮~京都駅でした。想い出しながら話ができたらと思います。(つづく)

自転車で駆け巡った京都2011(その1)

平成23年5月14日(土)
 葵祭の前日、午前9時前に京都駅についた私達は、京都タワーホテルにチェックインした後、お約束のようにKCTP(京都サイクリングツアープロジェクト)で自転車をレンタルしました。@1,300円也。早速、地図を見ながら行き先を検討した結果、取りあえず桂離宮の方へ行ってみようということに。事前に予約していないと中には入れないと承知してはいましたが、せめて外観だけでもという甘い見通しで、高速バスの車窓から見えた桂川を目指してペダルを踏み始めたのでした。名前の響きが気に入った五条天神川を越えて、桂川の橋のたもとに着いたのは、正確ではありませんが40分も漕いだくらいでした。
かつらはしの欄干
かつらはしの欄干
桂川
桂川(雨で増水していました。この日も少し降りました。)

 結局、離宮と思しき辺りを自転車で廻りましたが、見ることが出来たのは周囲に巡らされた塀と、下に掲載する味気ない看板だけでした。この看板のあった駐車場で、お客様の帰りを待っていたハイヤーのドライバーさんに話しかけると、「7ヶ月前の予約がいるよ」と教えてくれました。『そんな先のことは判らない。』映画「カサブランカ」の中で、ハンフリー・ボガードが呟いた素っ気ないセリフを想い出しました。そして何ヶ月か経つと今度は『そんな昔のことは憶えちゃいない。』と云うのかも。あはは。
看板
駐車場の看板(というより高札といったおもむき。)

 ところで、京都のはずれ_(._.)_を自転車で走っていると、道が碁盤の目になっていないのでよく迷います。で、歩道で地図とにらめっこしていると、大抵は地元の人が話しかけてくれます。『どちらに?』流石は観光都市。そんな親切な京都人のお助けに従い、私たちは『仁和寺』を直に攻めるのではなく、川沿いの自転車道をのんびり走って、回り道をして嵐山を目指すことになりました。行き当たりばったりでもある私たちの旅は、経路を問いません。本当は、とにかく欲張りなのかもしれませんがね。(つづく。)
道路標識
京都は道路標識までも絵になります。

四国霊場第77番札所『道隆寺』にて(逆打ち その11)

平成23年5月1日(日)
 ウイキペディアによれば、『天平の頃この付近は桑園であった。寺伝によれば、当地の領主である和気道隆が乳母を誤って射殺してしまったため、これを悲しんで桑の大木を切り、薬師如来を刻んで堂に安置したのが起源であるという。』と書かれてありました。
道隆寺山門
道隆寺山門

 また、他の資料を読んでみると、この桑の木が夜になると怪光を放っていたのだそうです。何故、乳母がそんなところにいたのか。矢を放つより、先に切り倒せばよかったのではとか、今となっては解らないこともありますが、そんなこんなで、このお寺はできたのだそうです。
道隆寺鐘楼
道隆寺鐘楼

 後に弘法大師が立ち寄って、薬師如来像を彫り、その胎内に先ほどの薬師如来を安置したことから、二体薬師如来と呼ばれているのだそうです。
道隆寺本堂
道隆寺本堂

 ところで、以前、御利益のお話をしましたが、このお寺の御利益は、ご本尊が薬師如来ということもあって、眼病又は眼病の予防に特に効くとされています。
道隆寺大師堂
道隆寺大師堂
道隆寺多宝塔
道隆寺多宝塔

 ところで、道隆寺のある香川県の西部に位置する多度津(町)は、名前に『津』とあるとおり港で栄えた町でした。ウエブで探していたら、『多度津町立資料館』というHPを見つけました。そこで紹介されている『金比羅参詣名所図絵』(1847年)には、道隆寺が描かれています。その当時から四国霊場は名所だったのですね。
道隆寺しおり
道隆寺しおり

多度津町立資料館(を紹介するHPだそうです。)

京都3大祭り『葵祭』(京都御苑にて その1)

平成23年5月15日(日)
 京都3大祭りと呼ばれる『葵祭』を1度ぐらいは観ようと、土曜日から京都入りしたわたくしどもは、その日のハードなサイクリングで相当疲れていました。その模様は、また、後日お話させていただくとして、葵祭の当日は、とても良い天気でした。日陰でいると涼しいのですが、日向では額や半袖のシャツからはみ出た腕が、じりじりと音を立てて焼けていたのに、鈍感な私はそれに全く気が付きませんでした。帰りの高速バスの車中で、腕がお猿のお尻のように真っ赤になっていて、また、それがひりひりと痛むのでようやく気づいた次第。今朝、鏡を覗くと額の皮が剥がれ始めていました。やれやれ。ヽ(;´Д`)ノ

 はて、何の話を・・・そうそう!とても疲れていたにもかかわらず、午前10時30分開始の葵祭(行列)を観ようと、午前8時頃には京都御苑の近くで道に迷ってキョロキョロしていました。観覧席を購入していたので、何もそんなに早くに現地に赴く必要もなかったのですが、電車や道が混雑するのが嫌だったのです。京都御苑の付近は、3年前の夏に同志社大学のオープンスクールで訪れていましたから、迷うなどありえないのです・・・が。
御苑配置図
京都御苑

 建礼門前のパレードコース沿いには、沢山のパイプ・イスが左右に並べられ観覧席を構成していましたし、観覧席がない清所門前辺りにもロープが張り巡らされていました。ディズニーランドのパレードよろしく、レジャー・シートを敷いて場所取りしている人も既にちらほらといました。「郷に入らば郷に従え。」先人の知恵が、何度か頭の片隅をよぎったのですが、観覧席代@2,000円×2名分がその知恵を鈍らせてしまいました。
建礼門と観覧席
建礼門と観覧席
清所門付近
清所門付近

 それは兎も角。わたくしどもは、場所取りもせずに、かねてより一度は観たいと想っていた『蛤御門』の周りで写真を撮ったり、火縄銃の弾痕に触れてみたり、「意外と粗末な門だなあ。」とか、「『どんどん焼け』からよく焼け残ったものだ。」と感心するやら、のんびりと『禁門の変』に想いを馳せていたのです。(つづく)
蛤御門
蛤御門
高札
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蛤御門の弾痕
蛤御門の弾痕
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