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怖い話はどこいった!

 妖怪好きで怖いもの好きな自分はどこへ行っちゃったのだろう?幼稚園ぐらいの頃、「四谷怪談」の小岩さんや「番町皿屋敷」のお菊さん、「牡丹灯籠」とか「耳なし芳一」がトイレに行けなくなるくらい怖かったのを憶えています。なかでも牡丹灯籠とか耳なし芳一のような幽霊・亡霊がおうちにお迎えに来る系は布団の中で震えるくらいでしたね。日本の幽霊は、怨念や恨みがこもっているようで本当に鳥肌が立つくらい怖かったです。近時では「リング」ですね。貞子が古井戸やテレビから這い出してくるシーンは、1人でいられなくなるくらい戦慄を憶えました。ただし、呪いのビデオという設定はちょっと・・・。
鬼婆
鬼婆

 洋画のいわゆるスプラッター(血飛沫)系のエログロ映画は嫌いですね。まったく知性や想像力のかけらも感じません。13日の金曜日(ジェイソン)、エルム街の悪夢(フレディ・クルーガー)。これらは未だ良い方。羊たちの沈黙(ハンニバル・レクター)。これはひどい。「呪怨」もこの系統かも。この系統は、最近、まったく見ません。

 それに比べて洋画の吸血鬼ドラキュラ、フランケンシュタイン、狼男、ミイラ男なんてのはとても好きでしたね。なんとなく漫画ちっくで滑稽さがあって、あまり怖いと思わなかったです。でも、この系統もあまりにリアルを追求しだすとだめですね。「ブレード」、「アンダーワールド」とか。
西洋妖怪
西洋妖怪

 また、ニコール・キッドマン主演の「アザーズ」という作品は、ゴシックホラーという新しいジャンルを切り開いたように云われています。読み進んでいくうちにのめり込んでいく推理小説のような味があります。トリックの手法は、「シックセンス」っぽいですが。

 「魔法陣」とか、「鏡」とか、小物をうまく使ったお話は好きですね。沢田健二主演の映画「魔界転生」(山田風太郎原作)で、天草四郎時貞(沢田)が魔法陣の前で祈ります。「エロイム・エッサイム。エロイム・エッサイム。我は求め訴えたり。」この世に未練を残した死人達(宝蔵院胤舜・宮本武蔵・柳生但馬守)がよみがえり、柳生十兵衛(千葉真一)と死闘を繰り広げます。荒唐無稽とはこういうことだという映画です。隠れ時代劇ファンの筆者にとってこの映画は、最高です。
閻魔大王
閻魔大王

 ところで、最近、季節感を感じる風物詩がなくなってきたような気がするのは私だけでしょうか。昔、冬になると「寒行(かんぎょう)さん」がまちにやって来ました。托鉢のお坊さんのことのようですが、これさえも子供には「なまはげ」のようなもので怖い存在でした。
一つ目小僧
一つ目小僧

 ※文中の写真は、水木しげるロードの妖怪達です。なかなか味があるでしょう?

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納経帳が真っ白!なので・・・逆打ちするか。四国霊場第88番・87番札所

 最初に四国八十八カ所札所のお遍路したのは、今から20年以上前のことでした。ほんの軽いのりで、要するにスタンプラリー気分でしたね。車遍路で土日利用で、一日当たり約10ヵ寺、約ひと月でコンプリート。それなりに達成感はありました。職場の上司で、東京から四国にやって来る人々は、四国におおよそ2年の間過ごすことになりますが、縁あって四国に赴任したのだからと、一様にお遍路回りして納経帳や掛け軸を完成し、最後に高野山へ寄って89番目の御朱印をもらって東京に帰っていきます。特に深い信仰心があるようでもないのですが、周囲の人々に奨められるがまま、大抵の人がこの道を歩くことになります。こんな人々に私も触発されたのかもしれませんね。四国に生まれたのだからと。
大窪寺三門
四国霊場第八十八番霊場「大窪寺」三門
大窪寺境内
大窪寺境内
大窪寺本殿
本堂

 この最初のお遍路で、門脇俊一画伯が描いた八十八枚のしおりを貰えたこと。それが今でも私の宝物です。皆さんにもお見せしますね。大窪寺(香川県さぬき市)と長尾寺(香川県さぬき市)です。
大窪寺しおり
大窪寺しおり
長尾寺しおり
長尾寺しおり

 2度目に八十八カ所を巡ったのは、それから数年後のことでした。ある事情があって、少し気持ちを入れて巡りました。このとき般若心経をそらで唱えることができるようになりました。

 3度目、もう一度巡ることになったのは、職場の先輩と、ある上司を案内することになったときでした。私が車を出して乗せて行き、2人がガソリン代と食事代を支払ってくれてというような旅でした。このときは全体の半分くらいを一緒に巡りました。その先輩とは職場で喧嘩して仲良くなりました。最初はそんなふうになるとは全く想像もしなかったのです。半年後、その先輩は心不全で突然死しました。訃報に接した時、徳島の札所の長い階段を上り詰めた後、境内の長椅子に座って胸を押さえ、息をぜえぜえ切らせていた姿や、カラオケに行って同僚のおせいじにも上手と云えない歌を聞きながら「可笑し過ぎて心臓が止まりそうや。」と笑いこけていた姿が頭の中をよぎりました。先輩の死、これは私にもこたえました。この時の納経帳は今も完成していません。不信心や子育て、仕事に追われ、その後は遍路から遠ざかってしまいました。
巡拝地図
巡拝地図

 それから、十数年がたった今週の日曜日(2010.9.12)から思い立って、再度、札所参りを再会しました。八十八番大窪寺から八十七番長尾寺へ。札所を八十八番から一番まで四国を反時計回りにお参りすることを『逆打ち』と云います。皆さんご存じだと思いますが・・。『順打ち』している弘法大師に出会える・・・かもという旅の始まりです。もちろん、あのときの納経帳もお供です。あまり無理をせず、ゆっくり、気が向いたら出掛けるようにします。
長尾寺三門
四国第八十七番霊場「長尾寺」三門
長尾寺境内
長尾寺境内

 長尾寺の手水舎の傍らで認知症の母があるものを見つけました。それは、漂白の歌人、種田山頭火の歌碑です。「人生即遍路」と書かれてありました。帰宅後にネットで調べて山頭火が四国遍路を2回巡ったことやその哀しい人生を知りました。山頭火もいっしょに連れていってあげよっと。
長尾寺手水舎
長尾寺手水舎

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京都に行ってきました。(その11)

 平成22年7月23日(金)この日最後に訪れたのは上賀茂神社です。

上賀茂神社馬場
上賀茂神社馬場

 上賀茂神社は、正式には、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)と。また、下鴨神社は、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と云うのだそうです。この名前にはいわれがあります。ですが、それは後程。

 下鴨神社を出て北進。上賀茂神社へ向かうのですが、路地を迷い迷いながら、途中でワッフルと冷コ(アイスコーヒー)など食したりしながら、最後には宅急便のお兄ちゃんに道を尋ねて、ようやく到着しました。小川(この付近の用水路はあまりにも清流なので、ほら、津和野とかあるじゃないですか。鯉が泳いでいたりして。そんな感じですよ!)の横の駐輪場に自転車を停めようとしたら、ある有名な私立大学の専用駐輪場とか書いてあったので、鳥居を挟んで反対(西)側に回ってみたら、そこも同様で、自転車学生が通学バスにトランジットするための駐輪場でした。警備のおじさんにお参りの人は、どこに駐輪すればよいかと尋ねると、上賀茂神社へ参詣するのなら、ここに置いていいですよと云われたので一安心。親切だ_(._.)_
上賀茂神社神楽殿、社務所ほか
神楽殿、社務所

 上賀茂神社は、派手さはなく、まあ質実剛健な感じでした。ひとえに檜肌葺き(檜皮葺き)の屋根と全体にシックな木造が、そんなイメージを形成するのかも。神話の時代から現存する・・・。ん?あれ、「式年遷宮」って何?
本殿入り口
本殿入り口

 例によって、ウィキで調べると、『遷宮(せんぐう)とは、神社の本殿の造営または修理の際に、神体を従前とは異なる本殿に移すことである。定期的な遷宮を式年遷宮(しきねんせんぐう)と言う。この時の「式年」とは「定められた年」という意味である。』とあり、さらに『単に「式年遷宮」という時、伊勢神宮(三重県伊勢市)の神宮式年遷宮を指す。』とあります。ありますが、伊勢神宮以外でもこの行事は行われているそうです。
そして、式年遷宮は通常20年に一度行われているそうです。

 神話の時代を垣間見たくて、社務所で特別拝観料を納めて社殿へ。社殿入り口の左手にある二間続きの小部屋に通されて待つことしばし。私どもと他にも何組かの「お客様」がいらっしゃいました。少し我慢がきつくなったと思う時間帯に現れた神職から、恭しくお祓いを受けた後、上賀茂神社の由来について説明を受けました。その小部屋の欄間に掲げられている絵を差しながら、あたかも紙芝居のように語られたのです。

 一枚目の絵には雷(いかずち)が、二枚目には天から降ってくる丹塗矢(にぬりや)が、3枚目には川を流れてくる丹塗矢を見つける若い女性が、確か4枚目には立派な御殿の大きな寝室で夜具に横になる女性の姿が、5枚目は宴席で大屋根を突き破って天に舞い上がる光のようなものが描かれていたかと思います。そこで語られた内容については、「KNブログ」という名前のブログで詳しく語られていますので、そちらに譲ります。冒頭で説明した上賀茂神社と下鴨神社の正式な名称の由来・伝承が理解できますので、是非。

 つい最近までは入ることもできなかった本殿は、御簾越しにしか拝めないこととか、火事等で焼失するというまさかの事態に備えて瓜二つの本殿(全くそっくりの狛犬も)がもう一つ並んであることとかの説明を受けながら、ほんのひととき神話の世界に遊んだ私でしたが、すっかり忘れかけていた浮き世の猛暑を思い出しつつホテルへの帰路についたのでした。あっつう~ヽ(;´Д`)ノ

KNブログ「丹塗矢伝承」
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京都に行ってきました。(その10)

 気を取り直して、平成22年7月23日(金)の続き。

 漢字で「禰宜」と書いて、「ねぎ」と読みます。ウィキペディアによると、『禰宜(ねぎ)とは、神職の職称(職名)の一つである。今日では、一般神社では宮司の下位、権禰宜の上位に置かれ、宮司を補佐する者の職称となっている。禰宜の語源は「和ませる」の意味の古語「ねぐ」であり、神の心を和ませてその加護を願うという意味である。・・』とあります。したがって、禰宜とは、神社のナンバー2ということになります。
鴨川
鴨川

 平安神宮を後にした私は、疎水に沿って鴨川に出て、その河原を自転車で下鴨神社に向けて北進しました。賀茂川と高野川の合流点から更に北へ進み、表示では下鴨神社が近いと表示されているのに見つかりません((((゜Д゜;)))) ですが、鎮守の森というものがどこの神社にもあるものだというのが私の常識で、その常識にしたがって辺りを見回すと、はたして右側に大きな森が見えてきました。この森は、「糺(ただす)の森」と呼ばれ下鴨神社を含めて世界遺産に登録されています。応仁の乱で大半が消失したそうですが、それでも東京ドーム3個分の面積があるそうです。そこを流れるいくつかの川の中で瀬見(せみ)の小川と呼ばれているものがあります。「風土記」や「新古今和歌集」にもこの川の名前が出てくるそうです。(鴨長明が観た小河を、時は違えど自分も眺めている。嗚呼。これこそが京都だ。)
糺の森看板
糺の森看板

「石川や せみの小河の 清ければ 月もながれを 尋ねてぞすむ」この和歌は、鴨長明が詠んだものです。実は、鴨長明は下鴨神社の禰宜だったようです。

 こんもりした森の入り口には、鎖があって車が入れないようにしてありました。中に入ってきょろきょろしていると右側に神社の三門らしきものが見えました。最初は、この神社が下鴨神社だと勘違いしていました。ただ、単に参道の入り口を間違えていただけと判ったのは神社を出るときでした。下の写真を見れば分かるように、入り口にはっきりと書いてありますね。河合神社の御祭神は、「玉依姫命」(たまよりひめのみこと)です。このお名前は、後でまた観ることになります。
河合神社
河合神社
河合神社由来
由来

 河合神社の横てを瀬見の小河に沿って森の奥へ進んで行くと、やがて、下鴨神社の三門に到着です。手水舎の非常に冷たい水で、手だけでなく頭も流し、早速、三門を入りました。はて、神社も三門というのかな。
下鴨神社三門
下鴨神社三門

 京都では、神社の境内に入ると、本殿を隠すように神楽殿(舞台)があります。上賀茂神社、伏見稲荷大社、ここ下鴨神社にもやはりありました。(そう云えば平安神宮にはなかったかなと思って配置図を観てみると應天門を入って右手にやっぱり配置されていました。)ここは折々にお神楽を奉納するのですかね。
神楽殿
神楽殿

 ところで、下鴨神社では、丁度、「御手洗祭(みたらしまつり)」(足つけ神事)が催されていました。曰く『御手洗池の井上社に祀られている瀬織津比売命(せおりつひめのみこと)は、罪、穢れを祓い除き給う神様です。そこで昔から土用の丑の日に、この神池に足をつけ、灯明をお供えし御神水を戴くと諸病にかからず、延命長寿の霊験あらたかと云い伝えられている。』そうです。でも、ズボンびしょびしょで。はっ!しまった。御神水飲まなかった((((゜Д゜;))))
御手洗神事
御手洗神事
御手洗神事2
御手洗神事2

 つじあやのさんが、ご自身のブログの中で、この御神事について語っておられました。ニヤミスだったんだ。残念。ウクレレの素朴な伴奏で歌う彼女の飾らない音楽は、ヒーリングにぴったしです。
                          以下、続く。
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