京都『四条通』から『六波羅』界隈へ(その5)

平成24年5月5日(土)
 六道珍皇寺をあとにした私どもは、GWで清水寺方面へ向かう観光客の人混みをかき分けながら、これも車の通行量が半端ない五条大路通を南に横切って、通りに沿って西に向かって歩き、大和大路通で三十三間堂方面へターンして、秀吉の築いた大仏殿の超巨大な石垣を左に眺めながら、石垣の裂け目を抜けて、死ぬまでに一度は拝んでおきたかった『方廣寺』の鐘楼に辿り着くことができました。

大仏殿石垣
大仏伝石垣

方廣寺鐘楼
方廣寺鐘楼

本殿
本堂

 『方廣寺鐘銘事件』については、他のブログにその説明を譲ることにして、件の『国家安康・君臣豊楽』の刻印は、それとはっきり判るように白い枠で囲まれていました。天下を揺るがす大事件(というか言い掛かり)の象徴とも云うべき鐘楼があまりにも無造作に放置されているようで、正直、拍子抜けでした。拝観料もないし・・・。大仏殿再建の資金(浄財)集めにでもすれば良いのに・・。奈良の大仏よりも大きな大仏この眼で拝みたいと思いませんか。

鐘楼2

国家安康
国家安康・君臣豊楽

 ウイキによると、『天正14年(1586年)、豊臣秀吉は奈良の東大寺に倣(なら)って大仏の建立を計画し、大仏殿と大仏の造営を始めた。文禄4年(1595年)、大仏殿がほぼ完成し、高さ約19メートル(長さの比較資料:1 E1 m)の木製金漆塗坐像大仏が安置された。しかし、慶長元年(1596年)に起きた大地震により、開眼前の大仏は倒壊した。慶長3年(1598年)、秀吉は法要を待たずに死去し、同年、大仏の無い大仏殿で開眼法要が行われた。大仏殿は高さ約49メートル、南北約88メートル、東西約54メートルという壮大なものであり、また境内は、現在の方広寺境内のみならず、豊国神社、京都国立博物館を含むものであった。』とあります。平城京の大極殿ですら再建できたのですから。

豊国神社鳥居
豊国神社鳥居

豊
豊国神社唐門から本殿へ

豊国神社高札
高札

京都博物館
京都国立博物館

 さて、そんな夢物語は兎も角、この日は日傘をさす人もいたりで、5月というのに真夏のように暑かったので、涼を求めて近くの甘味のお店(甘春堂東店)に立ち寄りました。うちの娘に見せてやりたいほど躾が良さそうで、清楚な店員さんの応対と冷たい甘味でじいさんは生き返ったのです。

甘春堂東店
甘春堂東店

じいさんの甘味
じいさんの甘味

ばあさんの甘味
ばあさんの甘味
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京都『四条通』から『六波羅』界隈へ(その4)

「鳥辺野、船岡、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし」(「徒然草」)

 あの世とこの世の境界である『六道の辻』は、その昔、その東側に京都三大風葬地として有名な『鳥辺野』(阿弥陀ケ峰南麓:清水寺付近)があり、歌に詠まれるように野辺の送りのない日がないためにこう呼ばれています。『六道珍皇寺』は、その六道の辻に位置する古刹です。開基は諸説あるようですが平安時代のようです。お盆のころには、『六道参り』(迎え鐘によって精霊をよみがえらせる)で大勢の人々で賑わうのですって。

六道珍皇寺山門
六道珍皇寺山門

六道珍皇寺高札
高札

 六道珍皇寺の閻魔堂には、閻魔大王像とともに小野篁という人の像が合祀されています。小野篁(おののたかむら)は、従三位参議という高位の官僚で、百人一首の歌人でもあります。非常に優秀な方だったようですが、嵯峨天皇の不興を買い隠岐島に島流しされたもののその才覚を惜しまれて数年後には戻されるという異例の経歴の持ち主でもあります。

閻魔・篁堂と鐘楼
閻魔・篁堂

高札(右)
高札(左)
閻魔・篁堂高札
 
 このお方、井戸をくぐって現代と過去を行き来する『犬夜叉』の主人公『日暮かごめ』のように、昼間は宮中に出仕し、夜は夜でこの寺の本堂裏に現存する『冥途通いの井戸』をくぐって地獄の閻魔大王に仕えるというスーパーマンぶりを発揮していたようです。このお寺に残されている『珍皇寺参詣曼荼羅図』にその模様が描かれています。春の特別寺宝展が開催されていたのでガイドさんの説明つきで拝観できました。

冥途通いの井戸
冥途通いの井戸

ポスター
春の特別寺宝展ポスター

 最近、冥途通いの井戸に呼応した『黄泉がえりの井戸』も発見されたとボランティアガイドさんが嬉しそうに語っていたのが印象的でした。

 このお寺には、ほかに『熊野観心十界図』と呼ばれる地獄絵が保存されています。地獄の詳細な様が描かれており、科学の発達していない時代には見る人をとっても怖がらせたのではないかと思われます。写真撮影が許可されていないので、同様なものを下記のHPからご覧くださいませ。怖いです。

現存する熊野観心十界曼荼羅の一例(和歌山県のHP)

京都『四条通』から『六波羅』界隈へ(その3)

平成24年5月5日(土)
 建仁寺を後にしてさらに南へ下ると松原通に出ます。松原通は旧『五条通』です。道幅は4~5mほどでしょうか。現在の五条大路は、天正十八(1590)年に豊臣秀吉が大仏殿を造営した際に、五条大橋を六条坊門小路に架け替えし、そのときから五条大路となった。てなことをボランティアガイドさんが話していましたよ。よく勉強していますね^_^;。

六道の辻
六道の辻

 ウイキによれば『六波羅は京都の鴨川東岸の五条大路(松原通)から七条大路一帯の地名である。』とあります。まさにこの辺りが『六波羅』ということになります。そして、その名前は、『天暦5年(951年)空也がこの地に西光寺を創建し、後に(中略)六波羅蜜寺と改名された。』ことに由来するそうです。

六波羅密寺
六波羅密寺山門

六波羅密寺高札
六波羅密寺高札

 『六波羅密寺』(西国第17番札所)は六道の辻を少し南に下ったところにありました。さほど大きくはありませんが、大勢の人だかりができていました。平安時代後期には平家一門が館をここにおき、大変栄えたようですが、いまでは本堂を残すのみです。

本堂
本堂方面へ

本堂2
本堂

 ここは平清盛や空也上人の木像(いずれも重文)が保存されています。家内曰く、「ここまできたら空也上人、観て帰らな。」という訳で本堂の奥にある宝物殿に入りました。そこには、昔、社会科の教科書で見たままの木像があり、まるでタイムスリップしたような感覚をおぼえました。本物は写真撮れないので、表の掲示板に貼っていたポスターを掲載します。

掲示板
掲示板の平清盛と空也上人(見たことあるでしょう?)

 さて、もっとセンセーショナルだったのは同じ堂内に安置されていた四天王「増長天」立像(重文)のお顔が自分に瓜二つだったこと。家内曰く「記念に一緒に写真撮ったろか。」「なんでやねん。」下のホームページに増長天の写真がないことが救いでしたね。あは。

六波羅密寺

京都『四条通』から『六波羅』界隈へ(その2)

平成24年5月5日(土)
 花見小路を南に抜けると『建仁寺』の北門に至ります。『建仁寺』は俵屋宗達『風神雷神図屏風』を所蔵する禅宗の古刹です。建仁寺のホームページによれば、1202年に栄西禅師が開山、その後、荒廃、再興を繰り返し、天正年間に安国寺恵瓊の庇護のもと仏殿・方丈を移築してくるなどで再興され、徳川幕府の保護によって現在の姿になったようです。

建仁寺由来
沿革・由来やら・・風神雷神図がレリーフされている。

 実は『建仁寺』は昨年の記事『自転車で駆け巡った京都2011』シリーズのその10になるはずでしたが、帰りのバスの時間が気になり撮った写真が少なかったこともあって記事にできませんでした。建仁寺に限らず、例えば、『二条城』、『西本願寺』、『東本願寺』は、2010年の『京都に行ってきました』シリーズを書いたときに訪れていますが、これらも何故か記事にできていません。情動とか閃きとか何であれ動機づけがないと、たとえ短い文章であっても書けないものかもしれませんね。

 今回の訪問で『望闕楼(三門)』、『勅使門』、『法堂』の写真を追加で幾枚か撮りましたのでご紹介します。

建仁寺勅使門
『建仁寺』勅使門

放生池~三門方面
放生池から三門方面を望む

望闕楼
望闕楼(三門)

本坊
本坊(拝観受付)

『潮音庭』と『双龍図(法堂天井画)』は、昨年、立ち寄った際に撮ったものを掲載します。昨年『潮音庭』を観たときもやはり5月でしたが、とても暑い日だったので、大勢の観光客が庭園を眺めながら大書院や小書院の畳の上や日陰の縁側で思い思いに身体を休めていたのがとても印象的でした。なにしろ新緑がとてもきれいでしたね。

潮音庭
潮音庭

双龍図
双龍図(法堂天井画)

立派な枯山水のお庭や風神雷神図屏風は下のリンクからご覧ください。

建仁寺

京都『四条通』から『六波羅』界隈へ(その1)

平成24年5月5日(土)
 この日、私どもは子供の下宿前から、四条河原町行きの“市バス”に乗車して目的地を目指しました。もちろん1日乗車券購入。GWも残すところ2日、午前10時を回っていましたが、バスの車内は幾分混雑している割には旅人が意外に少ないといった印象でしたね。
 四条川端のバス停で降りて、四条大橋のたもとから四条通を東に歩き出しました。この辺りから八坂神社に向かう屋根付き歩道は大勢の観光客が行き交うまさに繁華街です。途中、『めやみ地蔵尊』で眼病予防を祈願したりしながらのたりのたり。そして川端と八坂神社のちょうどまんなか辺りに『花見小路通』との交差点があります。

めやみ地蔵尊
めやみ地蔵尊(洛陽33観音霊場16番札所)

 四条通から南へ入ると、辺りの雰囲気が一変します。ウイキを読むと由緒あるお茶屋さんや料理屋さんが立ち並ぶ祇園のメインストリートで、2001年に電線類の地中化と石畳の整備が完成して情緒ある町並みへと生まれ変わったとのこと。お散歩するにはなかなか良いなと思いました。この日はウォーキングイベントか何かで、そぞろ歩く私たちの背後から小旗を掲げた人を先頭に大勢の人々が押し寄せてきて、まるでラッシュアワーのような有様でした。そしてその一団は旅情を楽しむでもなく、そそくさと建仁寺方面へ通りぬけていきました。『狭い日本、そんなに急いで何処へゆく』てか。

花見小路
花見小路

花見小路2
花見小路(日差しがもう夏)

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