自転車で駆け巡った京都2011(その9:高台寺にて)

平成23年5月15日(日)
 八坂神社から八坂の塔に続く石畳の通りは、近年電柱の地中化工事などを施したときから“ねねの道”と呼ばれているようです。NHKの大河ドラマ「江」で大竹しのぶが演じた北政所“ねね”が、秀吉没後、高台院と称してこの地で、晩年を秀吉の御霊を弔いながら過ごしたことに由来するようです。

ねねの道
ねねの道
台所坂
台所坂

 この通りから「台所坂」を上りきったところに「高台寺」がひっそりとあります。“ひっそり”というのは、私の願望です。実際に訪れた5月のこの日は、大勢の観光客や方丈の催し物の参加者でごったがえしていました。因みに「方丈」とは、仏教では住職が生活する建物のことです。お寺では檀家をお迎えするために、方丈の前には競って立派なお庭を造営するということがあったと何かで読んだことがあります。そういった意味では高台寺のお庭はとても癒される良いお庭でしたね。

高台寺庫裡と牛
高台寺庫裡と牛(こんなん出ました。)
牛のいわれ
牛の説明書き
方丈
方丈
方丈前庭と勅使門
方丈前庭園と勅使門
高台寺庭園
高台寺庭園(良い枝振りでしょう?)
開山堂
開山堂
霊屋
ねねと秀吉を祀る霊屋

 高台寺は山肌に沿うように建てられていて、回遊式の庭園の小高いところに、他の建物とは、まったくと言っていいほど異質で、趣の異なる東屋のようなものがありました。いずれも重要文化財で、「傘亭」、「時雨亭」と呼ばれる茶室?なのだそうです。写真を撮ったので掲載します。

傘亭
傘亭(重要文化財)
時雨亭
時雨亭(重要文化財)
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自転車で駆けめぐった京都2011(その8)

平成23年5月15日(日)
 祇園エリアをかすめて、私たちは四条通と東大路通りとの変則交差点に面した、祇園祭で有名な『八坂神社』西楼門に辿り着きました。西楼門は迫力のある阿吽(あ・うん)が右左から参拝者を睨みつけていました。いや、お迎えしてくれていたのかもですが。

西楼門
西楼門

八坂神社由来
八坂神社由来

 朱塗りの門の中にはさぞや高名な人物と思しき能面の翁のようなお顔の像が2体安置されていましたが、調べてみると平安時代の高貴な方の随身(家来)とのこと。少し意外でした。てか、写真撮ったし。

随身
左右の随身

 西楼門は、四条通の突き当たりにありますが、正門ではなくて、南楼門が正門だそうです。そう言えば、南楼門には大きな鳥居がありましたね。

八坂神社鳥居
八坂神社鳥居

南楼門
南楼門(境内側から撮影)

 この辺りはすでに東山。西楼門をくぐって、右へ、左へと曲がりくねって、なだらかな石段のある坂道の参道を登っていきます。
その参道の途中に蛭子社(えべっさん)がありましたが、ここは平安時代に祀られた長い歴史のあるえびす神社なんだそうです。元日にはあの「今宮戎神社」から鯛が奉納されると聞いて、へ~と感心。「 商売繁昌で笹もってこい!」てか。

 その辺りから、着物姿の妙齢(若い)のご婦人方の姿が見え隠れしていたので、何だろう?帰ってきてから調べると八坂神社には芸事の神様(大田白髭神社)も祀っている社があって、祇園の芸子さんが通うんだそうです。まあ、実際にその関係者だったかどうかはわかりませんが、気品のある方々でしたね。

 本殿と舞殿の配置は、他の京都の神社のそれと似通っていました。南楼門脇には能舞台もありました。

本殿
本殿

舞殿
舞殿

 本殿には、3人の神様が祀られています。「ヤマタノオロチ」を退治した「スサノウノミコト(素戔嗚尊)」、そしてその妻「クシイナダヒメ(櫛稲田姫命)」、天照大神とスサノウノミコトが生み出した宗像三女神をはじめとする8柱の神々「ヤハシラノミコガミ(八柱 御子神)」です。これらの神々については、「古事記」や「日本書紀」に記載があるようです。ウィキに書いてありました。

 「八坂神社」のHPにある「創祀」を読んでみると、八坂神社の創世記にも八坂造(やさかのみやつこ)一族という渡来人の存在が語られています。そして、『あの人』のことも・・・。『記紀神話(高天原神話)』以前の世界が垣間見えたような気がしました。

八坂神社

自転車で駆けめぐった京都2011(閑話休題)

平成23年5月15日(日)
 葵祭を観た日。実は、この日はチャリンコ借りていませんでした。大勢の群衆の中をチャリンコで通り抜けるのは流石に無理だろうという大人の判断でした。
 さて、京都御苑から徒歩で南に下がり御池通りに出て、ファミレスで食事してから、ぷらぷらと東を向いて歩き出しました。今回はここ御池通から八坂神社に至るまでの散策で気になったものを書いてみようかと思います。

 京都市役所(本庁舎)は、ウィキによると『「関西建築界の父」とも言われる日本の建築家で、近代日本を代表する建築家の一人である、武田 五一(たけだ ごいち、明治5年11月15日(1872年12月15日) - 1938年(昭和13年)2月5日)』氏らによって設計されて、1927年に竣工したものだそうで、鳥が両翼を広げて訪問する人々を包み込むような、なかなかどっしりとした威容です。丁度、頭部にあたる部分は、まるでロボットのようでもありますね。この日はフリーマーケットで賑わいをみせていました。

京都市役所
京都市役所(ロボット・ヘッド)

 京都市役所からさらに東へ足を進めると、小さな川に架かる橋のたもとに石造りで『高瀬川』と書いてありました。

高瀬川石柱
高瀬川石柱

 ウィキによると『高瀬川は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以(すみのくらりょうい)・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である。開削から大正9年(1920年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。(中略)水深は数十cm程度と浅く、物流には底が平らで喫水の低い高瀬舟と呼ばれる小舟が用いられた。(中略)江戸時代を通じて、京都と伏見とを結ぶ主要な物流手段として多くの舟が行き交っていた。明治時代に入り、明治27年(1894年)に琵琶湖疏水(鴨川運河)が通じると、輸送物資の役割分担によって共存を図ろうとしたものの物資輸送量は減少し、大正9年(1920年)に水運は廃止されることになった。』とあり、『現在は、二条から五条にかけて並行する木屋町通に飲食店が多く立地する。木屋町通周辺、特に三条から四条あたりにかけては京都の歓楽街の一つとなっており、週末は夜遅くまで賑わっている。また、幕末の事変を示す石碑が多く、桜の名所ともなり観光客も多い。』とあります。そぞろ歩く私の目にも、河岸の桜の新緑が、さらさらと流れる川面に写って本当に涼やかに見えました。

高瀬川
高瀬川(浅い。底が見える。)

 加茂川を渡りながら、その南側の欄干越しに見える風景は、日差しはきついものの昼下がりの穏やかなものでした。川岸の芝生に腰掛けて談話する人々、散歩する人、自転車を停めて休憩する人、読書する人、そして、提灯を張った川床の上にも人がちらほら。加茂川の納涼床は、5月1日~9月30日に利用できるようですが、昼床は5月と9月のみとのこと。たまたま、5月だったから。京都鴨川納涼床協同組合のHPに納涼床の歴史が書いてあります。太閤秀吉の時代からこのような風物が生まれたようですね。何というか、日本版ビアガーデンってことでしょうか。いちど立ち寄りたいなあと語りながら加茂川を渡りきりました。

加茂川と納涼床
加茂川と納涼床

 御池通りは、ここまでです。これも秀吉が東からの敵の侵入に備えて多くの寺院をこの辺り(寺町通りから東)に集めたときにこうなったらしいのです。あの有名な本能寺もこのときに現在の場所に移築されたとのこと。この日も本能寺を探してみましたが不能発見で宿題に。そう云えば、今年はNHKの大河ドラマ「江」で太閤秀吉が描かれていますが、良くも悪しくも実力者だったことは確かですね。

 加茂川に沿って右折し、三条京阪駅前から縄手通に入って、白川に沿って散策。風情のある和風の家並みや昼下がりのランチを楽しむお店と柳の並木が景色に溶け込んでいるようで、一種隠れ家的なエリアでした。巴橋を渡って写真をパチリ。そして三条通へ。

白川から大和橋方面を撮影
白川巴橋上から大和橋方面
南側から巴橋方面
風情のある家並み(お店)

京都鴨川納涼床協同組合

自転車で駆けめぐった京都2011(その7:北野天満宮にて)

平成23年5月14日(土)
 世界遺産「仁和寺」を出たあと、私たちは、この日最後の目的地「北野天満宮」に立ち寄りました。目的地と云いましたが、予めここに行くと決めていた訳ではありません。何のことはないKCTPの地図に書いてある有名そうな神社を選んだだけのこと。名前は聞いたことがある。でも詳しくは知らないなんて場所は、全国あちらこちらにごまんとあるのです。

鳥瞰図
北野天満宮(鳥瞰図)
三光門
楼門

 そして、知らなくても、旅先でそれ(実物)を見ると、「へ~!」と感激したり、驚嘆したり、涙ぐむことすらも、やはりごまんとあるのです。それこそが旅の醍醐味ですし、京都にはそんな感動の欠片(かけら)が、夜空の天の川のごとく、きら星のように旅人を誘うのです。嗚呼、叶うなら京都に移住して余生を過ごしたい。

 『東風吹かば、匂いおこせよ梅の花、あるじなしとて春な忘れそ。』

 この和歌は、身に覚えのない罪を着せられて、京の都から遙か遠くの九州は太宰府に流刑され、その辺境の地から故郷の都を想い、いつの日か冤罪が証明されて帰れる日が来ることを夢見て、これを詠んだのでしょう。九州新幹線「さくら」や「みずほ」のある現代ならいざ知らず。平安時代ではシベリア抑留にも近い処遇でしょうか。ならいっそ月にでも飛ばしてくれたら、かぐや姫にお目通りも可能なのに・・・。

 『御霊信仰(ごりょうしんこう)とは、人々を脅かすような天災や疫病の発生を、怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の「怨霊」のしわざと見なして畏怖し、これを鎮めて「御霊」とすることにより祟りを免れ、平穏と繁栄を実現しようとする日本の信仰のことである。』(ウィキより)

 北野天満宮も、当初は、「崇徳上皇」や「早良親王」と肩を並べる有名な『怨霊』を鎮めるために造営されたようですが、現在では学問の神様として広く民衆の信仰を集めています。

絵馬堂
絵馬堂(三六歌仙などが描かれていました。)
社殿
社殿

 絵馬堂は質実剛健。本殿は、出雲大社にも通じる、煌びやかで、かつ重厚な印象の社です。まさに「神さびて・・」の世界観ですね。

 そうこうしているうちに、ちゃりんこで駆けめぐった都の夜は更けてゆき、宿泊所の特典でタワーの展望台から京都市街(東寺も見えた。)を眺め、これも特典のカクテルを1杯戴いて、ぐっすりと眠りについたのでした。(ちゃんちゃん)
京都のシンボル
京都のシンボル
京都夜景
京都夜景(よく見ると「東寺」も写っているのだ。バカボンのパパ。)
摩天楼からの眺め
摩天楼の眺め

北野天満宮

自転車で駆けめぐった京都2011(その6:仁和寺にて)

平成23年5月14日(土)
 長く旅をしていると、良いことに巡り会うことがあります。例えば、香住の「大乗寺」を訪れたときは、十数年に一度の円山応挙作の襖絵ご開帳に巡り合わせました。それも何の予断もなくでした。そして、今回の京都旅行でもそんなささやかな幸運に巡り会いました。
広沢池
広沢池

 大覚寺を出発した私たち夫婦は、広沢池(別に普通じゃん。特に感慨もなし。)を左に観ながら、そして急坂を登り下りして次の目的地である『仁和寺』に到着しました。このお寺の名前は、「徒然草」で取り上げられていてとても有名ですね。実は、私たちが訪れた際、仁和寺御殿では生け花展の準備中で無料開放されていたのです。2人分で、たかが千円。されど・・・ジーン(感動)。

 仁和寺のHPによると、『皇族や貴族とのゆかりが深かったため「仁和寺御殿」といわれる御所風建築物が特長です。』との記述があります。確かに、勅使門があったり、白書院、黒書院があって、宸殿前にはお約束どおり右近の橘・左近の桜があって、白砂の庭園があるなど、嵯峨離宮「大覚寺」に酷似しています。
仁王門
仁王門
中門から仁王門を望む
中門から仁王門を望む(修学旅行生の後からパチリ)
金堂
金堂
アラカルト
アラカルト

 仁和寺は、応仁の乱で大半が消失し、徳川家光の治世に再興されたそうです。立派な仁王門、五重の塔、そして中門を経て金堂、経蔵、観音堂などの質素でありながら、壮大な伽藍が建ち並び、さすがの世界遺産でありました。次回は、名勝『御室桜』(おむろざくら)の開花期に訪れたいものです。

勅使門
勅使門
観音堂
観音堂

世界遺産「仁和寺」
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